映画産業の中心はなぜハリウッドなのか
2019年01月04日

その後、アメリカが振舞う富の匂いは、世界中の人々を引き寄せていった。
1912年から10年間で400万人を越す人々がニューヨークへ押し寄せた。
最も多かったのがイタリア移民そしてヨーロッパからやってきたユダヤ人だった。
ロシアにあった最大のユダヤ人コミュニティが今度はニューヨークに移った。
隙間産業を狙うユダヤ人が目をつけたのは、誕生まもない映画であった。
当初の映画はニュースが中心。
ユダヤ人は客を呼べるエンターテイメントを作ろうと新たな映画会社を設立した。
だがそこに、映画カメラを発明したエジソンがやってきて、
あらゆる映画製作に高額な特許料を要求した。
そして支払いを逃れようとする者を次々と告訴した。
するとユダヤ人達はニューヨークやシカゴにあったスタジオを捨て、
エジソンから逃れようと、西へ向かった。
それでもエジソンの追っ手はやってくる。
そしてついに西海岸のロサンゼルスにある農村、ハリウッドまでやってきた。
たどり着いた着いた西海岸は東海岸に比べ天候が良く、映画撮影に向いていた。
またエジソンの行為は連邦裁判所で反トラスト法違反であるとされ、
エジソンの追っ手は来なくなった。
こうして、ハリウッドでユダヤ人達は本格的な映画製作に取り掛かる。
当時、ビッグ5と呼ばれた映画会社は全てユダヤ人が創業者であった。
ビック5とは、パラマウント、ワーナー・ブラザーズ、20世紀フォックス、
MGM、RKOである。
また、女優のメイクアップにはユダヤ人であるマックスファクターが活躍。
後にマックスファクターは化粧品会社を設立する。
(つづく)
引用:NHKスペシャル 新映像の世紀、ウィキペディア
Posted by sou_L at 20:27│Comments(0)
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